SWAY

SWAYの活動は大きく3つの時期に分けられます。その時期毎に紹介します。ちょっと長くなってしまいました。ごめんなさい。

■「さそり座」時代
杉山加奈(ほとんどの詩・曲、ピアノ、ボーカル)と堀部雅子(メインボーカル、ギター)がさそり座を結成、中学2年生でポプコン(1984年)に出場し「窓ガラスのへのへのもへじ」で優秀曲賞を受賞。この時、既に3度目のポプコン応募らしいです。という事は、小学生の頃から応募していたのかも知れません。その後、2枚のシングル(ポリドール)を出し、1990年に自主制作アルバム「チャイム」を発売。また、1987年12月には「最後のシュート」がNHKみんなのうた」で放送されました。
実はこの「さそり座」時代は、私が彼女達を知る前だったので、活動状況は他のサイトを参照させていただきました。後に自主制作アルバムを入手すべく色々手を尽くしたのですが、未だ入手できていません。通販サイトを発見する所まで行ったのですが、実態が閉鎖後だったのか連絡が取れませんでした。何とか入手したいのですが…。

■第1期「SWAY」時代
1991年にグループ名を「SWAY」に変更し、本格的なメジャー(?)活動に入ります。私がSWAYを知ったのはこの時期です。1992年にアルバム「CHIME」(自主制作版が「チャイム」で紛らわしい^^;)を発表。このアルバムは全曲SWAYらしさにあふれ、統一感のある作品となっています。「ある日突然」はフジテレビ「うれしたのし大好き」のエンディングテーマになりました。1994年にはアルバム「ほろ馬車」を発売。「潜水艦」で堀部さんが詩・曲に挑戦したり、「太陽の下の一瞬」で杉山さんがメインボーカルをとったりと様々な可能性を探っていたように思えます。「トッカン工事」など少し毛色の変わった曲にもチャレンジする一方で、「川べりの風景」「曇天のうつる池」などの名曲も生みだしています。
この時期のSWAYには、未完成故の魅力があります。走り気味なボーカル(二人共)、初々しさが一歩間違えれば中学生の発表会ぽくなってしまうハーモニー。でも、それらは不思議とギリギリの所で素敵な心地良さとなっています。
この時代、3回くらいライブにも足を運びました。天然ボケなMCと相まって、ライブ会場はほのぼのとした癒し空間と化していました。完全には覚えていませんが、こんなMCがありました。「こっちからはよく見えないんだけど、お客さんの中で男の人はどれ位来てるのかなぁ。男の人、手を挙げてみて下さ〜い。」男性客、挙手する。「ふ〜ん。では次の曲です。」って、「ふ〜ん」で終わりかいっ!また、「ミンミン蝉の夏」という曲には、「ポンッ、ポンッ、ポンッ」という小気味いい音が入っていて「どんな楽器で出してるんだろう」と興味がありました。ライブでその曲を演奏するときに注意して見ていたら、堀部さんがおもむろに自分の指を口(頬の内側)に入れ、「ポンッ、ポンッ」と鳴らしていました。
アルバム2枚を発表した後、CD絵本など活動の幅を広げる中、1996年に一旦活動中止となります。

■第2期「SWAY」時代
堀部さんが結婚、杉山さんも結婚しタイに移住する中、1999年、堀部さんが抜け、第1期SWAYのプロデューサーであった丸尾めぐみが参加、新生SWAYとして活動を再開。アルバム「RETAIN」を発表。第1期と比べると、やや線が細くなったものの安定感は増した印象を持ちました。
杉山さんは後何年かタイでの生活が続くとのことで、音楽活動は中止状態ですが、ネットでの活動(ほろ馬車通信)は続けているようです。

・SWAY(さそり座) オフィシャル ホームページ http://www02.so-net.ne.jp/~munekata/sway/


・ほろ馬車クラブ http://www.angel.ne.jp/~water2/horobasha/horobasha.html
#ほろ馬車通信はこのサイトで読めます。トップページ画像をクリックすると「水の惑星(ほし)に生まれて」が試聴できます。


・さそり座を眺めながら http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Bass/9901/