世界が完全に思考停止する前に/森達也

あまり楽しい話ではないので、重い話が嫌いな方は読み飛ばして下さい。


2月14日のエントリ「輸入済の牛肉は安全なの?」を書いた時、当然同じ様な疑問を持った記事があるだろうと思い、ニュース系サイトを中心にいくつかの既存記事を調べた。ところが、そんな記事は1つも見つからなかった。記事を書いた時もその後も「もしかしたら自分の考えに初歩的な抜け漏れがあるのでは」との危惧があった。最近になって、「世界が完全に思考停止する前に」の中で同じ考え方のコラム(「で、何だったんだろう、あの牛丼騒ぎって」)を見つけた。「自分の違和感センサーが正しく機能していること」に安堵する一方で、「ほとんどのマスコミはそれを感じられなかったのか(もしくは圧力か何かで報道できなかったのか)」と思うと少し背筋がぞっとした。


実は、まだこの本を読み終わっていない。だが、拾い読みをする中で、この本の背骨となるメッセージは感じ取れた。自分の直感や論理ではなく、「なんとなく」とか「誰も変だと言っていないんだから」といった事で世の中がおかしな方向に流れていってしまう麻痺感への警笛である。
例えば、イラク戦争。何故、テロに屈しない事がイラクという国家との戦争になるのか。何故、充分証拠の無い大量破壊兵器の存在が大義名分になってしまうのだろうか。結局それは見つからなかった。戦時下における米兵捕虜映像の公開がジュネーブ協定違反なら、戦争終結宣言後に殺戮されたフセインの息子の遺体公開は問題ないのか。多くの「何故」に対する説明も無いまま、日本においては自衛隊の派遣延長が決定されようとしている。


脳は危機を瞬時に察知する能力に優れている。それは、生き残るための必須機能である。人間の脳は瞬時に判断するパターン認識機能に加えて、理詰めで考える機能を合わせ持っている。理詰めの思考も蓄積によりパターン化され瞬時に正しい判断を下す高性能な直感になるのだと思う。つまり、本能+理性という優れた脳により人間は厳しい世界を生き抜いてきた。さらに言語という過去の経験を活かすための記録手段も持っている。それなのに、このザマは何なのだろう。理性ばかりを使い、本能が衰えてしまったのか。それとも理性も含めて麻痺してしまったのか。


この本を読んでいる途中で、ふと漫画家の石坂啓の名前が浮かんだ。同じく「世間の思考停止に対する強い危機感」を持っている方だ。今日久し振りに、彼女の「正しい戦争」という本を読み返し、また背筋が寒くなった。

世界が完全に思考停止する前に

世界が完全に思考停止する前に